人類は戦争を完全に放棄することが出来るのだろうか?答えは限りなくNOに近い。勿論、戦争など絶対に無いほうがいい。しかし残念ながら人類の歴史を振り返ってみると、戦争の無かった時代は無かった。哀しいことに、むしろ戦争とともに歩んできたことは明白です。
1945年 (昭和20) 年8月6日午前8時15分。14万人の命が一瞬にして奪われ、その後も原爆症などの影響で亡くなった方々を含めると25万人もの犠牲者を出した運命の日から今日で64年。もちろん、太平洋戦争での犠牲者は広島だけではありません。1941年 (昭和16年)から1945年 (昭和20年)の3年8ヶ月に及ぶこの戦争での犠牲者は約300万人 (軍人、一般人)を数えるといいます。全世界では一体どれだけの方が逝かれたのであろうか・・・。
個人的に太平洋戦争は日本に限って言えば日本史上最も愚直な戦争であったと思っています。日本の軍部は初手からこの戦争は勝ち目が無いことはわかっていたはずなのです。だが当時の軍部上層部 (=エリート集団)はそれを決して認めることはありませんでした。。一種ヒステリックな狂態を晒した結果、せずともよい戦に突入。しかし、当然ながら戦争末期 (沖縄戦の頃)には矛盾に矛盾を重ねたことにより完全に崖っぷちに立つことになります。それにより遂に広島、長崎と人類史上初めて人間を殺傷するために核が使用されてしまったのです。
毎年この時期になると聴くCDがあります。女優の吉永小百合さんが原爆詩を朗読した「第二楽章」というCDです。彼女は原爆詩の朗読をライフワークにされていて、1997年にヴァイオリンの三浦章弘さん、ギタリストの村治佳織さん、室内楽オーケストラ/弦楽四重奏の演奏をバックに録音したのがこのアルバムです。
【吉永小百合/第二楽章】
- 序:峠 三吉
- ヒロシマの空:林 幸子
- モーツァルト/ピアノ協奏曲No.21 ハ長調 K.467 第二楽章
- 生ましめんかな:栗原貞子
- うめぼし:池田ソメ
- 慟哭:大平 (山田) 数子
- レスピーギ/シシリアーナ (リュートのための古代舞曲アリアより)
- 【子供たちの詩】
げんしばくだん:坂本はつみ
おとうちゃん:柿田佳子
先生のやけど:かくたにのぶこ
無題:佐藤智子 - 燈籠ながし:小園愛子
- 折づる:栗原貞
- 永遠のみどり:原民喜
- レニャーニ/カプリスNo.22 (36のカプリスOp.20より)
吉永さんの地味溢れる朗読は聴くたびに胸を打ちます。朗読されている詩は非常に切ないですが、ギターを中心とした音楽によって救われている感じです。ですが、いわゆる「お涙頂戴」的な安易な作品ではありません。
何だかんだ言っても今の日本は平和なんだとつくづく思い知らされます。
私たちはまだ両親が戦争を知っている世代。
父は特攻のパイロット。でも出撃前に戦争が終わった。
母は東京大空襲で焼け出されたひとり。
まだこんな身近な世代に戦争が深く影を落としているのですね。
喉もとすぎれば熱さ・・・忘れないように平和を守らないと。
@Angelitaさん
お父様は特攻のパイロットだったのですか・・・。
終戦間際の時は、経験を積んだパイロットではなく、取りあえず飛ぶだけの訓練を積んだ学徒兵を量産して死地へ送るという何とも救い難い情況だったんです。お母様もあの東京大空襲をご経験されたのですか。64年経ったとは言っても、ついこの間のことなんですよね。
僕の父親はその時5、6歳で茨城に住んでおりました。東京大空襲の時、東京方面が夜でも夕焼けのように空を染めていたそうです。
今ある日本が、多くの犠牲の上に成り立っているって事を忘れないようにしないといけませんね。
父は予科練の志願兵で17歳だったそうです。
まだまだ若く順番がまわってくるのは先だったようで命拾いしました。
終戦の日からしばらくは戦争が終わったことも知らず、森の中に隠したゼロ戦の見張りを一晩中していたそうです。
「あんまり怖くて朝が来るのが待ち遠しかった。」と言ってましたね。
あまり戦争の話をしたがらなかった母はもういません。
平和ボケしている場合ではありませんよね。
風化していかないようにしないと・・。