白と黒の愉悦

以前、テキスト・フェチであることを書きましたが、もう一つ、ただ眺めているだけで愉悦を感じてしまうものがあります。それは「楽譜」です。まぁ幾分、職業病的なところもあるんですが・・・。以前は「楽譜=単なる記号」ぐらいにしか思っていなかったんですけど、楽譜の仕事に携わるようになって、様々な楽譜を眺めているうちにその美しさにいつしか心を奪われるようになってしまいました。

楽譜の歴史は長く、その原型と言われるネウマ譜Wが9世紀に登場し、だんだん現在のようないわゆる「おたまじゃくし」状の楽譜になったようです。

書籍と同様に、活版印刷が登場するまでは楽譜も手書きの写本でした。手書きによる楽譜は丁寧に書くととても美しいものです。現在でも、ジャズや歌謡曲などのバンドに使用する楽譜は手書きが基本です。コンピュータ浄書した楽譜を渡そうものなら下手するとぶっ飛ばされます(笑)理由は「手書きの方が読みやすいから」だそうです。

アヴェ・マリア タンブーラン

その後、ヨーロッパでは銅版彫りによる楽譜浄書が一般的になりました。当然表裏逆に彫るわけですから大変ですね。非常に美しい楽譜が印刷可能となりましたが、難点としては誤植が直せないところでしょうか。日本ではいわゆる判子による浄書が一般的でした。日本の浄書技術は、コンピュータ浄書に取って代わられるまでは世界一と言われていました。

判子は各浄書家の手作りで、五線も烏口で引かれていました。当然ながら浄書家の個性が楽譜に現れます。そういうこともあり、当時の楽譜浄書の世界では「あ、この楽譜は○○さんが書いたものだな」とト音記号を見ただけでわかったそうですよ。みんな微妙にデザインが違うのだそうです。

名人クラスの浄書家になると作曲家自身からご指名なんてこともあったそうです。なぜならそのクラスの浄書家が書かれた譜面は明らかに「美しい」からです。

楽譜浄書というのは音符や記号をただ並べているだけではありません。譜玉の間隔、臨時記号の配置、運指の配置、テキストに使用するフォントのデザイン、連桁の傾きなどなど、美しい楽譜というものは無数の要素がコンマ何ミリ単位の精緻なレイアウトによって書かれているのです。浄書家のデザイン・センスの良し悪しで同じ作品の楽譜でも印象がかなり違ってしまいます。

現在ではほぼ100パーセント、コンピュータ浄書になってしまいました。FinaleSibeliusといったノーテーション・ソフトが主に使われています。オイラ自身はSibeliusを使っているんですが、FinaleにしてもSibeliusにしてもデフォルト入力だけでもかなりクオリティの高い楽譜が作成出来ます。でも、上述の手書き浄書(判子による)並みのクオリティで書こうと思うとかなりレイアウト面で手を加えなければなりません。このあたりは先程も書きましたが、各々のセンスの他に厳密な楽譜浄書の作法も勉強しなければなりません。

コンピュータ浄書の長所もしくは利点は「何度でも手直しが出来る」、「スコアを作成するとパート譜も同時に完成出来る」といったところでしょうか。要するに楽ちんなんです。短所は「美しく見せるのが大変」、「そのためには結局かなりの時間を消費」するってところかしら。なので、最近はそのあたりに全く斟酌しない楽譜が非常に多くなりました。つまり美しくない楽譜がとても多くなってしまったということです。「まぁ、よく臆面もなく出版したものよ」っていうレベルのものも結構ありますよ。楽譜フェチとしてはかなりお寒い昨今なのであります。

プレリュード1 プレリュード2 プレリュード3

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