大和魂と大和撫子

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

これは幕末の志士・吉田松陰Wが刑死(いわゆる「安政の大獄W」)する前に、松下村塾で学んだ門弟たちに向けて著した「留魂録」の冒頭に記した辞世の句です。「たとえ武蔵の野で朽ち果てても、私の大和魂はこの先もずっとここに留まるだろう」ってことかな。享年29歳。凄い20代だなぁ・・・。まぁ、吉田松陰に限らずこの時代の人達は紛れもなく「大和魂」を持っていたと思う。

「大和魂」なんていう言葉を本気で使う日本人なんて今の日本にいるだろうか?(ライトウィングの方たちは使うかもね・・・)今の日本は日本であって日本じゃないと思うのはオイラだけじゃないと思うのだけど・・・。とにかく節操が無いよね。それを一番感じてしまうのはクリスマスとお正月。だって、「ワァ~~~~~イ!クリスマスだっ!ヒャッハー!」って盛り上がった一週間後に神社でかしわ手打ってるんですよ!な、なんだかなぁ・・・・。「大和魂」の欠片もないわな。もはや死語ですわ。

同様に「大和撫子」なんて言葉ももはや死語であろう。(何処かに棲息していると信じているけど・・・いや、いる。い、いて下さいまし)良くも悪くも本当の意味で「日本人」と呼べる日本人は、幕末以降絶滅の一途を辿っているんじゃなかろうかと最近夙に思うのであります。

と、エラそうなこと言っているオイラ自身、例えば自宅の部屋を見渡すと「おいおい、オイラは一体ナニ人になろうとしてるんだろうか?」って勢いでありとあらゆるモノが洋モノ、和モノで玉石混淆状態なのである。そしてご多分に漏れず、クリスマスにはバカ騒ぎをして、お正月にはお雑煮やおせちを食べて「あぁ、日本人に生まれてよかったっ!」と心の底から思い、人波に揉まれながらかしわ手を打つ不埒っぷりを露呈するのである。挙句には「オイラは無神論者です」なんてことを平気で言ってしまったりする。まぁ、イエス生誕を祝ったその足で(実際は祝ってないけど・・・)、神社やお寺に赴くわけだから「無神論者」っていうのはある意味当たっている気もするのだけどね。

何でこんなことになっちまったんだろうと歴史を振り返ると、これはたぶん明治維新以降のことなんですよね。いわゆる「文明開化」ってやつ。とにかく、「外国の文化をガンガン取り入れて今までの遅れを取り戻すんじゃ!」っていう上昇志向が結果的に日本から日本人を消滅させてしまったのかもしれない。オイラの頭もポンッと叩くと「文明開化」の音がするんだろうか?

吉田松陰先生

    • M
    • 2009年 10月 2日

    Luziaさま
    大和撫子、ここに1名居ますよ~!
    ここ、ここ~~~!!!!!

    • Luzia
    • 2009年 10月 2日

    @Mさん
    Mさん!オイラは不孝者でありんした。
    Mさんという大和撫子がおられましたね。もう、シーラカンス並の貴重な存在ですから保護せねば。

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