今、オイラの目前に喉から手が出るほど欲しい本があるとします。全58巻、総額700万円~800万円弱!!!ね、年中金欠病のオイラにそんな銭などあるはずもない。ほとんど拷問に近いシチュエーションである・・・_| ̄|○ かと言って、現金輸送車を襲う勇気も無い・・・。あ”ぁぁぁぁ~~~、どうしよう?という、こんな困難な状況を易々と打破した男がかつてこの日本に実在した。その男の名は・・・
「勝海舟」
日本史上の人物でオイラが最も尊敬するお方であります。勝海舟Wの評価(人気)ってかなり別れるんだけど、オイラはアンチの人達が仰る事も含めて勝海舟が好きで好きでたまりません。とにかくいい面も悪い面も含めて凄い人だったと思います。
彼の事跡を事細かく繙くと1冊の本になっちゃうので書きません。(書きたいけど・・・)てゆーか、本題から外れてしまいますね
勝海舟の若い頃のエピソードが今回のテーマ。結構有名な話なのでご存知の方も多いかもしれませんね。
25歳の海舟(弘化4年=1847年)は剣術修行のかたわら蘭学者を目指し猛勉強中でありました。当時、洋学と言えば蘭学Wであり、蘭学を勉強するのに「ドゥーフ・ハルマW」(ズーフ・ハルマ)という蘭和辞書は必要不可欠の書物でした。
が、前述のとおり全58巻という大部の書籍であり、その当時60両[1]もするという大変高額な書籍でした。この時海舟はすでに妻子がいましたが、まだ駆け出しの蘭学者ということもあり超極貧生活を送っていました。天井の梁、障子の桟なども薪に使用してしまっているというボロ屋同然の家に住んでいたそうです。60両なんていうお金は夢のまた夢の金額なのでした。
ある日、いつも立ち読みをしている某古書店に「ドゥーフ・ハルマ」があることを知り、それから毎日のように足繁く通って貪るように読み耽っていたそうです。店主も余りの熱心さに怒ることもせず見て見ぬ振り。
そのまたある日、いつものようにその古書店を訪れると「ドゥーフ・ハルマ」が無いではないか・・・。店主に聞くとある蘭医が購入したとの事。
が、ここで諦めないのが海舟の凄いところ。店主からその蘭医の住所を聞いて、すぐに訪ねた。蘭医の名は赤城玄意。
海舟は玄意にこの書籍を貸して欲しいと必死に懇願したのだけど、最初は断られてしまった。が、玄意も古書店主同様、この異常なまでに向学心が強い若者に感動を覚えるに至り、「持ち出すのはダメだけど、私が就寝中に筆写するのならいいよ」と言う事に相成った。ちなみに期間は1年、借り受け料は1年10両[2]だった。
その日から1年かけてなんと海舟は2部の筆写を書き上げた・・・。筆ではなく鳥の羽を削って自作したペンを使用したらしいです。そして1部を某氏に10両で売って[3]玄意への支払いに当て、1部は当然自分の手許に。
こうして買えるはずのない書物をタダで入手するという離れ技をやってのけたのでした。
と、文章にするのは簡単なんだけど58巻もの辞書を筆写って・・・。しかも2部・・・。生半可な志じゃ出来ないよね。海舟曰く、筆写を終える頃には蘭語をマスターしたとの事である。
1999年に「江戸東京博物館」で「没後100年勝海舟展」が催された時に、海舟が筆写した「ドゥーフ・ハルマ」が展示されていたのですが、誠に眼福でございました。すんごい達筆!&超綺麗な字!なんですよ。
いやはや、ほんと土下寝ものの凄さですわ・・・。とてもぢゃないけど真似できませぬ・・・。
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