ブラックアウトしたらそこはベッドだった

Wikipediaによると「過労死」とは“周囲からの暗黙の強制のもとで長時間残業や休日なしの勤務を強いられる結果、精神的・肉体的負担で、働き盛りのビジネスマンが脳溢血、心臓麻痺などで突然死することである”とある。ハ、ハハハ・・・。オイラの現状とちょっと近いぢゃねぇの・・・。まぁ、休日はキッチリ取れているので死ぬことは無いと思う(たぶん)。実は20代前半の一時、写植Wという仕事をしていたことがあります。わずか3ヶ月間しか続かなかったのにはそれ相応の訳があったのであった。

当時は手動写植から電算写植Wへ移行し始めた時代だったのですが、まだ手動写植じゃないと作成できない文字や組版Wもあり、その会社には2台の手動写植機がありました。

社長、社長夫人、筋金入りのベテラン手動写植職人(以降、「師匠」と呼びます)以外の社員はオイラを含めみんな20代の若者ばかり。ワンフロアーの小さな会社でしたが、版下作成の部署と写植作成の部署に大きく分かれていました。で、オイラは写植部の手動写植を担当することに。

師匠[1]は見るからに職人風であり、まだ夏前だというのに上はランニングシャツ一枚、頭にはタオルをねじり鉢巻にして巻いているというでっぷり太った強面・・・。写植の写の字も知らぬオイラは大いにビビリまくりつつ、手動写植機の手ほどきを受けました。

手動写植機 電算写植機

とは言ってもこれがなかなか難しい・・・。ガラス板に文字が刻印されたものが表裏逆になっていて、それを写真のように一文字づつ撮影していくんですが、表裏逆の文字なんて見たことないので一文字拾うだけでももの凄く時間がかかったなぁ。ある一定の規則で並んではいるんですが、それを憶えるまではかなり大変です。

文字を撮影すると左上側にあるレイアウト表示板にドットが打たれるんですが、文字の級数(大きさ)が変わってもドットの大きさは変わらないので、常に頭の中で文字の大きさやレイアウトを記憶しておかないと文字が重なり合ってしまうことに・・・。

で、ある程度撮影したら印画紙が入っているボックスを機械から外して暗室で現像するのね。この時に初めて印字された文字を見るんですけど、結構ドキドキします。

師匠の技は本当に惚れ惚れしてしまうくらい凄かった。もうほとんど芸術作品!印画紙に無駄なくみっちりと様々な級数の文字が印字されているにもかかわらず、重なり合った文字は一つもない。オイラは文字が重なることを恐れて無意識に印字場所を変更しているせいか、悲しいほどに隙間だらけ・・・。

この会社に発注があった本は「近代映画社」 、「OZ magazine[2]などが主流でその他、公的書籍からエロ本まで幅広くやっていたな(笑)

オイラは近代映画の付録の「歌本」や、デビューしたてのアイドルたちのグラビアのキャッチコピーといった簡単なものをやっていました。(ちなみに宮沢りえさんのキャッチを打ったのはオイラです!)

と、このあたりまでは何だか楽しそうでしょう。見本のエロ本もたくさんあるしね!でもね、〆切りに追われまくっているので余裕など全く無く、常にオフィスは戦闘状態なのさ。

この会社は午前10時~午後7時が就業時間だったのだけど、まず7時に帰れることはなかった・・・。大体のタイムスケジュールは以下のとおり。

10時出勤→12時~13時まで昼休み→15時~15時15分まで休憩→0時退社

ハイ、午前様は当たり前の世界でございます。1時、2時なんてこともしょっちゅうだった。ごく稀に20時~21時に上がれた時なんか「こんなに早く帰れるなんてっ!」と感動したくらいですもの。

タイムスケージュールを見て?と思われた方もいらっしゃるでしょう。夕食の時間が無い・・・。この時間帯は夕食を食べる暇が無いほど激戦体勢なので社長以下誰も夕食を取らないのです。

そんなこんなで仮に0時に退社したとすると、帰宅は1時。それからシャワーを浴びて夕食。(時間的には夜食・・・)就寝は2時を過ぎることになりますな。もう感覚としては「ウトウトしていたら朝」って感じ。朝食を食べる余裕も食欲も全く無し・・・。頭も常にフラフラ状態。夕方になると目が霞む・・・。で、頭をスッキリさせようと酷い時は嗅ぎタバコを吸引しながら写植ってた。(端から見たら完全にジャンキーな人だよね・・・)

そんな生活を3ヶ月近く続けたある朝。JR飯田橋駅を降りて有楽町線に乗り換えるための連絡通路を歩いている時、突然目の前がブラックアウト。それ以降の記憶が全く無く、目を覚ました時にオイラがいたのは飯田橋駅の保護室(?)のベッドだった。その後、念のため病院に行ったんだけど病名は

「過労」

だって・・・。

このままでは「過労死」すると本気で思い、その会社を2週間後に退社。(実際この会社は社員の入れ替わりが激しかった・・・)で、現在の会社に至ったわけです。

たまにニュース等で「過労死」という言葉を見かけるとこの時のことが未だにフラッシュバックしてしまう・・・。現在の仕事も忙しいと言えば忙しいけど、あの頃の忙しさに比べたら遊んでいるようなもんだっ!だから、不良社員になっちまったんだけどね!ア~ハッハッハッハ!(虚)

  1. 若い他の社員はもちろんのこと、機嫌が悪い時は社長にまで噛み付く怖い人でしたが、なぜかオイラは妙に気に入られてしまい、どんなミスをしてもにっこり微笑んで逆に様々なアドバイスをしてくれるのだった。これはこれで怖かったんだけどね・・・。 [戻る]
  2. 刊行間もない「OZ maganine」のコンテンツ(目次)を作成していたのが師匠でした。印画紙を丸々一枚使って作成されていましたが、文字間・行間などはコンマ何ミリ単位の精密さで印字されていました。当時の電算写植では無理な技であり、手動写植ならではの技なのであった。当然オイラには作成不可能・・・。 [戻る]
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