彼らの凄絶なる叫びは現代に届いているのだろうか?

昨日はちょっと辛辣なことを書いてしまったけど、やっぱり政治家先生のグダグダっぷりを見ているとイライラしてしまうのも事実。で、また幕末の話になってしまうのだけど、たった百数十年前に生きていた志士たちはもちろんダメな男も多かったけど、良くも悪くも“器の大きい”男が多かったとしみじみ思う。

志半ばで逝った志士は星の数ほどおり、その多くが辞世を遺しています。特にオイラの心に残っているのは、以前ちょっと書きましたが吉田松陰Wの「身はたとえ 武蔵の野辺に くちぬとも 留め置かまし 大和魂」です。他には土佐藩郷士・吉村寅太郎Wの「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が振る太刀の 血煙と見よ」。前者は処刑、後者は自決により命を散らしました。二人とも20代の若者なんですよね・・・。

江戸東京博物館 2010年NHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」に行った事は書きましたが、その折にまた胸を打つ辞世に出会いました。土佐上士・平井収二郎Wの辞世です。

収二郎は文久3年(1863年)6月8日に藩命により切腹しました。下の写真は和紙に爪書された辞世です。

平井収二郎爪書辞世

また、獄舎の壁にも爪書による漢詩が残されており、これもまた凄絶であります。

呼悲哉兮綱常不張
(ああ悲しいかな 「三綱五常」の主張も叶わず)
洋夷陸梁兮辺城無防
(異国人が好きに暴れ回っても 国を守る手立てもない)
狼臣強倔兮憂在蕭牆
(佐幕派の浪士が思うがままに勢力を振るい 寂しく憂いこの上もない)
憂世患國兮忠臣先傷
(世を憂い国を患う 忠臣はまず先に傷つく)
月諸日居兮奈我神皇
(日よ月よ 奈我神皇)

※実際は縦書き

坂本龍馬が文久3年6月29日に姉・乙女に宛てた手紙には収二郎切腹の報を聞いた龍馬の切なさが滲み出ています。

平井の収二郎ハ誠にむごいむごい
いもふと おかをがなげき いか計か
ひとふで私の よふすなど 咄(はなし)て きかしたい
まだ少しハ きづかいもする

おかをとは龍馬の初恋の人物と言われる収二郎の妹、平井加尾のことです。

平井収二郎も27歳で世を去りました。

若くして散った彼らの日本を思う叫びが現代に届いていることを祈ります。そうでなくては彼らは犬死になってしまう・・・。

政治家先生は常に辞世を携帯して政にあたって欲しい!と、オイラは本気で思っているんだけど・・・。まぁ、そこまで気合いの入った政治家先生は一人もおらぬのだろうな・・・。

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