道徳とは

人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。

デジタル大辞泉より


その通りであります。

ですので、小学校の道徳の時間に教師が教えるべきことは、新聞文字を切り抜いて“身代金目的誘拐の脅迫文”を作成させたりすることではなく、事の善悪について教えるべきであり、悪だけを教えてどないすんねんっ!

「担任の身柄を確保した。かえしてほしければ8千円もってこい。1秒でも遅れると命はないと思え」

この文章を道徳の時間を使って、しかも新聞文字を使って作成させるとは実にあっ晴れである。今日から君も立派な犯罪者になれることウケアイだねっ!

アホかっ!まぁ~ったく、腸が煮えくり返るわっ!しかも、この教師の言い訳が奮っている。曰く、

「協力する楽しさや、友人の大切さを知ってもらうため」

脅迫文を作成することで協力する楽しさを学べるとでも?友人の大切さを知るために人を殺してもいいとでも?

反省の弁曰く、

「(生徒の)興味を惹くためだが、良くない例文だった」

大事になってから初めて気付いたかのような弁である。もっとも、気付いていないから堂々と子供たちにこんな事をさせるわけなんだが・・・。

そう言えば7月には愛知県のとある教師が、殺人事件を題材にした算数問題を子供たちに出題するという事件もありましたね。

「ここに18人の子どもがいる。1日に3人ずつ殺すと、何日で全員を殺せるでしょう?」

学校はいつから犯罪者養成施設になったのだろうか?しかもこの教師は、生徒たちにこういう問題を出題したことを親たちには言わないよう口止めしてたんでしょ?質が悪過ぎる・・・。

この外道教師たちに共通しているのは“生徒の興味を惹くため”っていう点なんですよね。

こういったある種トリッキーな手法を用いてしか生徒の興味を惹けない教師たちの器の小ささ、想像力の無さには反吐が出そうだ。こんなド腐れ外道教師どもに教えられていた子供たちはなんと不運なのだろう。心の底から同情してしまう。

オイラが小学校に通っていた時も道徳の時間はありました。担任のS先生は道徳の時間にしばしば書物を通して色々なことを教えて下さいました。特にS先生による“読み聞かせ”によって、少なくともオイラは読書という行為に無常の喜びを見出し、どれだけ心が豊かになったことか。

以前ブログでも書きましたが(こちら)、当時読んでいただいた灰谷健次郎さんの「兎の眼」は、現在にいたっても読み続けています。そして、読むたびにS先生のことを思い出します。ささやかな事ではありますが、素晴らしい事だと思いませんか?

今回の事件でついつい立腹してしまったのは、この教師は2人ともオイラと同世代だということであります。実に情けない・・・。外道教師に代わって子供たちに謝罪したいくらいである。

教師に限らず、世の大人は全て“子供たちの良き範”でなくてはいけないでしょ、やっぱり。世の中が確実におかしな事になってきていて正直怖い。

まぁ、オイラもそんな立派な人間ではないけれど、少なくとも子供たちが歩むべき道程の足元を照らすことくらいは出来ると思っています。

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