鬼平残影 其の九~薬研堀界隈
ここの縁日の賑わいは江戸でも指折りのものだ。このあたりは両国西広小路の盛り場とも接しており、料理屋や商舗が軒をつらね、夜に入っても灯火が「昼のようだ」といわれたほどの繁華な土地(ところ)である。
鬼平犯科帳第十四巻“殿さま栄五郎”より
おっと、このシリーズは実に2ヶ月ぶりぶりですけぇ。薬研堀界隈の描写は“鬼平犯科帳”より“仕掛人・藤枝梅安”シリーズの方が多かったりするんだけどね・・・。
薬研堀の由来は“薬研W”に似たV字型の堀だったからだそうでっす。残念ながら明治36年(1903年)に全て埋め立てられちゃったので、全く面影なし・・・。まぁ、しょうがないね。
現在は川崎大師の東京別院として名高い“薬研堀不動院”の名により往時の地名を残すだけでっす。
昔(江戸名所図会より)
現在
時の流れと言えばそれまでですが、日本らしい風景が無くなっていくのはさみしいものよのぉ・・・。
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